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蜂須賀ちなみの日記帳

NICO Touches the Wallsのツアー「Fighting NICO」を観て思ったこと

NICO Touches the Wallsの全国ツアー「Fighting NICO」を観てきたので、その感想などを。

※レポではないです。

 

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私が観たのはツアーファイナルの京都ロームシアターと追加公演の浦安市文化会館でした。その終演後にも以下のようなツイートをしたんだけど、

 

 

 

やっぱり一番強く感じたのは「2周目に入った」というところで。どの辺りからそれを感じたのか、みたいなことをここに書いていこうかと思います。


でもその前にまずは触れておきたいのは、今回のツアーの17本目・4月16日に行われた佐賀GEILS公演で以ってニコは「47都道府県すべての土地でワンマンライヴをやった」ことになるという点。佐賀ではこのような盛り上がり具合だったそうですが、

 

 

自分たち自身の「結成◯周年」と「デビュー○周年」を大々的に取り上げて祝ったりはしないのに、こういうところをちゃんと大切にするのは何というか、彼ららしいなあと。だからこそ、今回の追加公演で光村龍哉さん(Vo/Gt)の地元である浦安に帰ってきたのかもしれない。全国を廻ったあとの「ただいま」の意味と、全国行脚を経て出会った人たちを地元に連れてくる「ようこそ」の意味で。


なので、物理的な意味でも「2周目突入」感はあるんですけど、私が一番感じたのは、今回のツアー以前/以降でバンドのバイオグラフィを区切ることができるんじゃないか、そういう意味でかなり重要なツアーになったんじゃないか、ということでした。それを説明するために、ちょっと遠回りになってしまいますが、時を遡ってみます。ここから今回のツアーの感想に辿り着くまでがかなり長いです。ごめんなさい。

 


元々ニコは(というか光村さんが特にそうなんだけど)音楽においてはあらゆる方向にアンテナを張ることが好きな人で、マニアックな趣味を持っていたりもするタイプで。だから本来はそれを全部出してしまうのが一番自然であるのかもしれないけど、それをやりすぎると「結局このバンドは何がしたいのか」という肝心な部分が外から見えづらくなる。そういうジレンマがあったし、両方を上手いことやっていけるほど器用なバンドではなかったからこそ、2014年以降は「自分たちの核を見直す」という点に徹するようになった、という経緯があるんですね。具体的に言うと、シングル表題曲のメッセージ性がシンプルになったり、ベストアルバムのリリースしたり、ほぼ全曲を演奏した籠城型ライヴ『カベ ニ ミミ』を約1ヶ月にわたって開催したり、アコースティック編成でのリリース&ライヴを行ってみたり。光村さん曰く「いろいろな実験をして、必要のないものをどんどん処分していった」(2016年1月の武道館ワンマンMCより)という3年間の中で、例えば、2016年4月号の「ROCKIN’ON JAPAN」では、光村さんが

 

「(前略)俺は――うーん、悔しいわけ。今まで10年以上やってきて、こんなに思ってるのに、『NICO変わっちゃったね』って離れた人に、もっと早くこういうことを歌っときゃ良かったっていう」

 

なんて発言をしている。さらに、2016年5月に行われた大阪城ホールワンマンでは、古村大介さんが涙ながらに

 

「今日がキッカケになればいいと思ってて。みんなと仲良くなりたいです。みんなのことが大好きです」

 

とオーディエンスへ伝えている。つまりここ3年間の活動の裏側には、少なからず聴き手に対する「後悔」という感情もあった。でも、2016年3月に6thアルバム『勇気も愛もないなんて』をリリースしたことによって、そういう意味での清算が終わったと私は思っていました。なぜなら、あのアルバムが「ついて離れない苦悩や葛藤だって音楽への『勇気』や『愛』に基づいたものだったんだ」と彼ら自身が気づくまでのドキュメンタリーのような温度感のものだったので。そのあとに開催されたツアーファイナルでは光村さんも「6枚目にしてこんなこと言うのもなんだけど、やっと等身大の俺たちになれたと思う。待たせたな!」なんて笑っていたけど、全体的に、バンドが自分自身を認められたことによってその「先」が見えてきたような温度感がありました。そして――

 


2016年5月の大阪城ホール公演のあとはしばらく空いて、約半年ぶりとなるワンマンが同年11月に開催されました。それが「1125/2016」バンド名に因んで11月25日を「イイニコの日」と呼び、毎年ライヴを開催しているNICO Touches the Walls。昨年のテーマは、ちょうど10年前の2006年にリリースされたミニアルバム『Walls Is Beginning』『runova × handover』の再解釈だったのですが、今の自分たちのことも過去の自分たちのこともちゃんと尊重している感じが伝わってくるような、とても良いライヴでした。ただ個人的には、一つだけ残念に思っていたことがあったんです。当時書いたブログでも触れたけど、それは、途中、メンバーの方からオーディエンスに対して「大丈夫? ついてこれてる?」と投げかける場面があったこと。

 

この日はライヴの趣旨を前以てアナウンスした上でのワンマンだったのに。フェスやイベントとは違ってお客さんの殆どが自分たちのファンという環境なのに。ニコのファンってバンドがマニアックなことをやるほど喜ぶ節があるし(バンドとファンって似てくる……笑)、そろそろバンド自身もそれが分かってきたんじゃないかと思っていたのに。何というか、「もう少し聴き手のことを信じてもいいのに」「それってつまり、自分たちのことを信じきれてないというでは?」と思えてしまって、少しショックだったんですよ。大事なところはこの3年間で十分伝わったから、いい加減自分たちのことを許してあげればいいのに、積み重ねてきたものを信じて好き勝手にやってくれればいいのに、と。

 


長々と説明してしまいましたが、そんな気持ちを抱えつつ、私はツアーに足を運びました。で、蓋を開けてみると、この「Fighting NICO」は、どのジャンルにも括れないニコの変態性、音楽に対する貪欲さが爆発しているようなツアーだった。なので、「1125/2016」を観て抱いた自分の中でのモヤモヤも解消されたし、まさに今のニコに求めていたものを一気に観ることができたような、そんな充実感がありました。

 

「リリースしました→じゃあツアーをやりましょう」という流れを踏んだレコ発ツアーではないからこその、かなり挑戦的な内容。例えば、新曲で始まり新曲で終わる本編の構成。尖っていて攻撃的な曲が連続する序盤(『勇気も愛も~』収録曲に明るい曲が多かったからその反動かも)。10分弱の大曲「GUERNICA」(シングル『Broken Youth』のカップリング曲)の中盤に挿し込んだこと。総じていうと、アレンジの豊かさ、振り切れ方の大胆さがこれまでで一番だったということです。


先にも書いたように、そもそもニコは多方向にアンテナ張るのが好きなバンドで。だから歳を重ねて自分たちのインプットが増えるほど、頭の中のイメージは膨らんでいき、アウトプットの選択肢も本来は増えていくはず。しかも、この3年間がバンドの内側を「整理する」タームだったからなおさら、溜まっているものを外側へ「吐き出す」ようなタームに突入した時の爆発力がすごいことになるんです。

 

そうなった時に大きな武器となったのが、ホール公演のみに参加していたサポートメンバー・浅野尚志さんの存在でした。共同プロデューサーとしてこれまでニコの楽曲を多く手掛けてきた浅野さん。レコーディング中にはメンバーからの注文で様々な楽器を演奏することもあるようで、「せっかくだからライヴでも……」という流れで今回のツアーに参加することになったのだそう。マルチプレイヤーである彼は、キーボード・バイオリン・ギターを曲によって使い分けていました(しかし一番得意なのは、この日演奏していなかったベースらしい)。例えば、「バイシクル」はトリプルギターで爽快感マックスの仕上がりに。「天地ガエシ」はバイオリンが入ることによって異国情緒豊かに。アンコールの「THE BUNGY」では、ギター(古村)&バイオリン(浅野)のソロバトルも実現。キーボード入りの「そのTAXI,160km/h」はこの曲の象徴的存在でもあったギターのカッティングを削ったアレンジに生まれ変わり、「Aurora(prelude)」の前半はほぼアカペラ状態で光村さんの歌を際立たせるアレンジになっていた。そしてツアーのハイライトを担っていたのが「GUERNICA」。このバンドの偏屈具合を一枚絵にしたこの曲には、ニコの真髄を垣間見たような気分にさせられたし、本当の意味で彼らがバンドを楽しんでいるんだということが読み取れました。まさかこの曲に涙腺がやられるなんて思ってもみなかった……。

 


「好き放題」「好き勝手」というテーマがあったという今回のツアー。各公演のMCで光村さんが「好き」を巡る話をしていたそうですが、ファイナルの京都でもそういう話をしていました。

 

「自分の『好き』を大切にしたい。自分の好きな音楽を信じたい」
「誰かのためじゃなくて、自分のために音楽をしたい。それがちょっとでもみんなの日々のエネルギーになってくれたら嬉しい」

「自分勝手な僕たちだけど、音楽への愛と、それを喜んで受け取ってくれるみんなへの愛は負けないつもりなので」
(いずれも大意)

 

そして追加公演の浦安ではこのMCがなかった。それはファイナルで一旦ツアーを終えたからだろうけど、浦安の日は「バンドのためのボーナスステージ」みたいな感じがより一層強かったから、結果的に、言葉にせずとも「自分の『好き』」が伝わってくる場面はたくさんあったなあと。浦安市文化会館のステージに立つのは学生時代の合唱コンクール以来ということもあって「いや~、来てしまいました。みんなを連れてきてしまいました!」なんて光村さんは笑っていたけど、何か、会場みんな笑顔だったにも関わらず、その中で一番楽しんでいるのがステージ上にいるバンド自身だったように感じたんです。ツアー中に言葉にし続けてきたこと、全部演奏に滲み出ているなあと。だからこそ「TOKYO Dreamer」、そして「浦安に帰ってきたら絶対に唄おうと思っていた」という「ランナー」が連続で演奏されたこと、そうして浦安という始まりの地で「これからも戦っていくんだ」という意思を正面から鳴らしきったことには大きな意味を感じました。

 

〈孤高の戦いは いずれこの夢を叶えるんだ〉

〈お前だけの頂を/孤高のランナー 決してくじけるな〉

 

浦安の終演後に挨拶に行った時、光村さんが「恥ずかしい」と何度も言っていたんだけど(自分で「浦安が生んだロックスター、光村龍哉率いるNICO Touches the Wallsです!」とか言っていたくせに……!笑)、自分の「好き」を貫くことって、要はそういうことなんですよね。自分の脳内で膨らませていた夢や妄想・イメージを信じて、発信して、最初は孤独だけど、理解者が現れて、どんどん人を巻きこんでいって、時間の流れの中で離れていってしまう人もいて、紆余曲折にも付き合ってもらって、その事実を自分自身で受け止めて背負って……の繰り返し。その流れが今回のツアーで以て一周した感じがあったからこそ、ここから2周目が始まるんじゃないかと思ったわけです。

 

だからこそこの先が楽しみなわけですが、既にニュースにも出ているように、今年のイイニコの日の会場は幕張メッセなのだそう。例年濃度の高い、且つその時々で核心的なことをやっているライヴだったりするので、会場のキャパが小さい=それを目撃できる人の数が少ないことを少々もどかしく思っていたのですが、今回はそういう心配もなさそうな予感。今回のツアーで見せてくれた「好き放題」感、つまりニコならではの変態性(褒め言葉です)が、大会場でも炸裂されることを楽しみにしてます……!