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蜂須賀ちなみの日記帳

幸せになろう――NICO Touches the Walls活動終了によせて

 

 

NICO Touches the Wallsが活動終了を発表した。そこから2時間と経たずして、この件に関する原稿の依頼が来た。内容を確認し終えてすぐに指が動く。

 

「ちょっと待って、こんなの耐えられない」

 

引き受ける旨の返信メールを打ち込む指は止まらず、心の叫びは無視される。頭で理解している「今すべきこと」に感情がなかなか追いつかず、この時初めて、心と思考は別々なのだと知った。心って脳にあるんだと思っていたのに、それじゃあ、いったいどこにあるの。このタイミングではさほど重要ではない疑問が脳内を駆け巡る。

 

 

 


NICO Touches the Wallsをきっかけに私はロックに目覚めた。きっかけはラジオ番組。スタジオライブを生中継していたんだけど、当時の演奏はなかなかめちゃくちゃで、だけど何となく引っかかるものがあった。感動と呼べるほどドラマティックではないその感覚のヒントが欲しくて、リアルタイムのファンの声を検索したところ、「みっちゃんはいつも声を枯らして全力で唄ってくれる」「だからこそグッとくる」みたいなことが書いてあった。その価値観は当時の私にはないもので、新鮮というか衝撃的ですらあった。

 

そこから興味を持ち、リリース済みのCDを全部買い、大学生になってからはバイトもできるようになったからライブにも行った。ターニングポイントは、2012年の幕張メッセワンマン。あのときは光村さんが少し声を出しづらそうにしていた。その分、古村さん、坂倉さん、対馬さんが彼を支えるように頼もしい演奏をしていた。演奏のクオリティで言ったら、正直100点には程遠い。だけど、彼ら4人の関係性――バンドという生き物の美しさに私は心を打たれたのだ。

 

この頃には既にニコのライブを観るのは何度目かだったから、波が激しいというか、調子の良し悪しが分かりやすく音楽に出るタイプの人たちだという印象があった。また、ライブならではのアレンジをするから、音源と同じ曲なんて1曲もないんだなあと面白く思った憶えもある。元々クラシック畑出身で「楽譜通り正確に弾くことが正義」「話はそれからだ」という世界で生きてきた私からしたら「100点を取れなくてもそれ以上に大事な何かがある」という何らかの魔法が働いているロックの世界が不思議でしょうがない。そうやって私はニコに惹かれ、ロックバンドの魅力に気づいていった。

 

幕張のライブレポートを読もうとネットの記事を検索したり、音楽雑誌を読んだりしているうちに、違和感を抱くようになる。どの記事を読んでも「バンドは絶好調」「大規模ワンマンはもちろん大成功でした!」という論調で、私が感じたバンドのドラマは一切なかったことにされている。その時、ああ、私の想いを代弁してくれる人なんて誰もいないんだ、と気づいてショックを受けた。そして、(飛躍が甚だしいけど)ならば自分でやってしまおうと決断した。それがライターを目指したそもそものきっかけだった。

 

ニコがいなければ私はライターではなかったし、ニコを書けなければ実質ライターになった意味がなかったわけだけど、2016年には初めてライブレポートを書くことができた。間に合ってよかったなあ、と今になって思う。

 

rockinon.com

 

 

 

 

男性4人組に対してこの単語を使うのはズレているかもしれないが(バンド名が女性の名前をモチーフにしているということで許してほしい)、ニコは私にとってミューズだったんだと思う。ライブレポートなんて書いたことすらなかったのに、軽率に「じゃあ私がやりますよ」と決断できたのは、そして実際に言葉がむくむく湧いてきて普通に書くことができたのは、あのバンドが私にとって創造の源だったからだ。それが才能だとは自分では思えないが、自分の内側に眠っていた「我を表現する術」みたいなものを目覚めさせてくれたのもまた彼らだった。

 

だから今、体内から骨を抜かれたような気分なのだ。彼らと同世代の他のバンドが、活動休止したり、解散したり、様々な事情からメンバーが脱退してしまったり、あるいは楽器を演奏できない状態になってしまったり……という姿をこれまでたくさん見てきた。だから、永遠なんてないと分かっていたはずなのに、分かっていた方がまだマシだったのに、ニコは大丈夫だとどこか無意識的に思っていたんだろう。なのに、こんなにもあっさりとした文面を残して、いなくなるだなんて。

 

発表があった日は涙が一滴も出なかった。一度思いっきり泣けばすっきりするかもしれないのに、それすらもできない。ひたすら虚無感に押しつぶされた。だけど「書けないかもしれない」よりも「書かなければならない」という気持ちが先行している。

 

〈壁〉ということは、もがきながら叫ぶということは、自分の弱い部分にとことん向き合うということ。心の奥の方にあるカサブタを剥ぐ作業だと思う。自分の奥のドロドロとしたよく分からないところへ手を突っ込んで、気持ち悪い感触にうなされ、ものすごい異臭が腕にこびりついてでも、その蓋を自らの手でこじ開ける作業。そりゃ痛いだろうし、涙も鼻水も出る。傷跡だってなかなか消えないだろう。でも、その時に出る血の美しさに一度気づいてしまったら、やっぱりずっと魅せられていたい。

 vol.16「開き直りの果ての覚悟」文=蜂須賀ちなみ | YUMECO RECORDS

 

大学生の頃の私がめちゃくちゃ残酷なことを書いているけど、この頃から、私がニコに何か掻き立てられてしまう理由は変わらなくて。要は、身と心を擦り減らして極限まで行った人の表現に惹かれてしまう性質が私にはあって、つまり、自分だって苦しい時こそ書くべきなのだということも、ライターとしての人格がそれを望んでいることも、最初から分かっていた。

 

だから頭では理解していたけど、心が追いつくのに時間がかかりすぎてしまったなあ。私はまだ弱い。強くならなければ。強くなりたいと思った。

 

 

 

 

あの原稿を書き終えて、また、プレイリストをまとめ終えた今改めて気づいたのは、私が惹かれた美しさというのは相当危ういバランスで成り立っていたもので、15年、このバンドが続いただけでもすごかったのだなあということ。

 

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どうしたって自信を持てないくせにかなりの頑固者である。いつまでも悩んでしまうフシがあり、ジタバタと足掻いてばかり。素直に愛の言葉を吐くことなんてできないから周囲から誤解されやすい。……って書き並べると悪口を言っているみたいになってしまうが、本当にそういう曲ばかりだし、全曲の主人公は紛れもなくニコ自身だ。そんな彼らの性格がかつてなく明るいサウンドのなかで曝されている、という点がこれまでの作品との大きな違いだろう。傍から見ると器用に見えるが実は不器用なこのバンドのややこしさは、ニコ自身を長いこと悩み足掻かせてきた。しかし今の彼らは半ば開き直りながらそういう部分を自らの腕(=音楽)で肯定している。その結果、捻くれた性格さえもまっすぐに出す、という意味で最もピュアなアルバムが完成したのだろう。

 NICO Touches the Walls『勇気も愛もないなんて』|まだ唄えなくても - enjii

 

年齢不相応の老成感を醸し出す音楽性と、それを表現しようとあくせくしている年齢相応のガムシャラさ。そのアンバランスさが10年前の彼らの魅力だとすれば、今の彼らの魅力は〈演奏技術的には培ってきたものがにじみ出るような時期に差し掛かっているにも関わらず、こんなにもピュアな気持ちで音楽に向かっている〉という点にある。どちらにせよアンバランスなことには変わりないんだけど、普通のバンドが歩んできた道のりを逆方向に辿っているようなバンドだからこそ、〈現在〉と〈当時〉が交わることに特別な意味が宿っていく。

 2016.11.25 NICO Touches the Walls「1125/2016」を観た感想 - enjii

 

元々ニコは(というか光村さんが特にそうなんだけど)音楽においてはあらゆる方向にアンテナを張ることが好きな人で、マニアックな趣味を持っていたりもするタイプで。だから本来はそれを全部出してしまうのが一番自然であるのかもしれないけど、それをやりすぎると「結局このバンドは何がしたいのか」という肝心な部分が外から見えづらくなる。そういうジレンマがあったし、両方を上手いことやっていけるほど器用なバンドではなかったからこそ、2014年以降は「自分たちの核を見直す」という点に徹するようになった、という経緯があるんですね。具体的に言うと、シングル表題曲のメッセージ性がシンプルになったり、ベストアルバムのリリースしたり、ほぼ全曲を演奏した籠城型ライヴ『カベ ニ ミミ』を約1ヶ月にわたって開催したり、アコースティック編成でのリリース&ライヴを行ってみたり。

NICO Touches the Wallsのツアー「Fighting NICO」を観て思ったこと - enjii

 

 

ニコは元々ライブアレンジに拘りを持ってきたバンドだが、それでも、ここまで変則的なことをやったのは今回が初めてだったように思う。30曲弱を40分間で演奏したそれは、いわば人力マッシュアップ。メンバーは、ライブ当日を迎えるまでの間、とにかくひたすら練習したらしい。デジタルの力に頼ればもっと簡単にできるだろうに、あえて茨の道を選択するのはどうしてだろうか。その理由は、戯れ合うように音を合わせる、会場中の誰より楽しそうな4人の姿を見れば明らかだった。

 NICO Touches the Walls/幕張メッセイベントホール2018.11.06 邦楽ライブレポート|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)

 

キャリアの積み重ねによりバンドの演奏技術および表現力が向上し、コアな音楽リスナーである光村の脳内に広がるイメージを体現するために選べる手段が増えたこと。それこそが、現在ニコがバンド編成とアコースティック編成の二輪駆動状態で走っている理由であろう。また、a flood of circle佐々木亮介、Base Ball Bear小出祐介がそうであるように、インプットが豊富なタイプのミュージシャンの場合、バンドとは別にアウトプットの場を持っているケースが多いが、光村は現状バンド一本である。それも現在のニコの状況に影響しているのかもしれない。 

NICO Touches the Wallsは可能性を追求し続ける 新作“NICO盤”“ACO盤”に込めた真意とは - Real Sound|リアルサウンド

 

とはいえ、前回のアルバムから3年、というのはやはり長かった。なぜかというと、序盤に少し触れたように『QUIZMASTER』の核にあたる部分――「自分たちはロックバンドとしてどう生きていくか」という問いに対する解には『勇気も愛もないなんて』の時点で辿り着いていたはずだからだ。それにもかかわらず、この3年の間、リベンジしたり、ファイティングしたり、ニコとアコの両方をやって1曲の新曲を発表するのに2倍の労力がかかるやり方を採用したりしていたわけで。……そう考えると、引き出しの多いバンドではある一方、つくづく不器用な人たちだなあと。直線最短距離で突き進んでいるところ、そういえば見たことないかもしれない。

 NICO Touches the Walls『QUIZMASTER』とツアー追加公演に対する感想 - enjii

 

歪さなんてとっくに気づいていたし、だからこそ私はこのバンドを愛してしまったんだ。4人がバンドであることにロマンを見出していた私と、次第に、バンドを終わらせ、それぞれ新たな冒険に飛び出すことにロマンを見出していった彼ら。

 

 

何隻だって好きなだけ新しい船を出せばいいじゃないと思ったけど、そうできるほど器用な人たちではないことも知っている。演奏バカ上手いけど、それが一朝一夕で身につけたものではないことも知っている。彼らがセルフプロデュース能力に秀でていて、どんなことも爽やかな笑顔でこなすことができて、迷いや悩みとは無縁のバンドだったら、多分ここまで惹かれていなかった。自分には音楽しかないのだと、叫んでいるみたいなその音が、ひどく美しかった。

 

ニコのままで居てくれだなんて、酷なことを言ってごめんよ。

 

 

 

 

rockinon.com

 

ポジティブなことをあまり書けなくて、これ、どうなんだろうと最初は思ったけど、無理して前を向く必要はないのだと伝えられたらいいなあと思ったから、悲しいものは悲しいとそのまんま書くことにした。聞き分けの悪い人間で申し訳ないが、ファンはバンドの鏡というか、捻くれたバンドには捻くれたファンがつくんだよ、ばーか。だけどもうニコには会えないから、最後にこれだけは言わせてほしい。

 

これだけ面倒くさいバンドに惹かれてしまったこと、それが幸運だったのか不運だったのかは正直よく分からない。

NICO Touches the Walls『QUIZMASTER』とツアー追加公演に対する感想 - enjii

 

意地張ってこんな言い方をしてしまったけど、本当はずっと幸せでした。孤独の夜を救ってくれて、勇気と愛を授けてくれて、本当にありがとう。きっかけはあなた方だったけど、私は私の人生を生きているし、美しい文章を書くためならばとナイフで心臓をこじ開けて、汚れた涙を溢れさせながら、原稿の上でもがいて叫んで――そういう生き物に成る道を選んだのは自分自身です。同じ血を流しながら、私は私の道を行きます。

 

3日前から今日までずっと、空は綺麗に晴れています。また会える日まで。