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蜂須賀ちなみの日記帳

2016.11.25 NICO Touches the Walls「1125/2016」を観た感想

赤坂BLITZで行われたNICO Touches the Wallsのライヴ、「1125/2016」にお邪魔してきました。 11月25日はイイニコの日、ということでニコは毎年この日にライヴをやっていて。ファン感謝祭的な意味合いを含むライヴではあるけど、近年は、

2015年=初ワンマンを行った東京・大阪のライヴハウス2件を1日でハシゴ(その直前に古村さんがケガをしたため3人体制でのライヴに)

2014年=レア曲祭り

2013年=ロックンロールナイト

という感じで、バンドのバイオグラフィ&ディスコグラフィと改めて照らし合わせてみると、その時々で結構核心的なことをやっていたりする。そんな中、事前にバンド公式SNSで告知されていた今年のテーマは、ちょうど今から10年前の2006年、インディーズ期にリリースされたミニアルバム『Walls Is Beginning』『runova × handover』の再解釈。この2作が赤坂のスタジオで制作されたものだったことに因んで、会場は赤坂BLITZでした。

  

  

Walls Is Beginning

Walls Is Beginning

 

  

runova×handover

runova×handover

 

  

そもそもこの2作の曲が演奏されるのはそんなにレアな出来事なのか、というと、意外とそうでもないのでは?と私は思っていて。

 

まず、ニコは2014年に「カベニミミ」という1ヶ月間の籠城型ライヴをやっていて*1、その中でインディーズ曲縛りのライヴをやった日があったんですよね(参考:カベ ニ ミミ ー ニコ タッチズ ザ ウォールズ ノ ヒミツキチ | NICO Touches the Walls)。しかもこの「カベニミミ」では当時リリースしたほぼすべての曲を演奏しているわけで、つまりこのバンドにはもはや〈レア曲〉という概念があまり意味のないものになっていっているんじゃないかと個人的には思っていたりする。

 

さらに『Walls Is Beginning』に関しては、同じく2014年にリリースされたベスト盤の初回限定盤特典のDVDで再録をしていて。

 

NICO Touches the Walls 『Studio Live"Walls Is (re) Beginning" teaser』

www.youtube.com

 

この2014年というのは、バンドが自分自身の核を今一度見直すような活動をしていた年。だからインディーズ期の曲を演奏するということは彼らにとって〈原点回帰〉的な意味があったのだと思います。それならば、あれから2年経った今、なぜあえて昔の曲をまとめて披露する場を作ったのだろうか。

  

 

……というところが気になっていたので実際に観てきたわけですが、終演後いちばんに思ったのは、今4人がバンド自身に対してワクワクしているからこそ今回のようなコンセプトライヴをやろうと考えたのでは、ということ。

 

バンドが過去の作品を顧みる時って、その根底に〈あの頃の気持ちを取り戻したい〉とか〈そもそも自分たちがどういうバンドだったのかを思い出したい〉という切実な願いがあるケースも多いけど、最初のMCで「30代になった僕たちが(インディーズ期の曲を)奏でるとどうなるのか確かめたくて」という話があった通り、今回のニコに関しては純粋な好奇心が根本にあったのだと思う。この日は目に見える形でドカーンと盛り上がる種類のライヴではなかったけど、「次はこうしてやろうか」を企んでいるバンド側にも、「次はどう来るんだろう?」と期待しているオーディエンス側にも、心が数ミリ浮いているようなソワソワ感・ワクワク感があって。これだけ捻じれた曲を聴きまくったあとなのに終演後清々しい気持ちになったのは、そういう感覚を互いに共有できていたからこそなのかなと。この日の評判が良ければまたこういうタイプのライヴをやるかもしれない、だからみなさんは実験台だ、とオーディエンスへ言っていた光村さん。でもご自身で分かっている部分もかなり多いと思うし、「実験」という言葉は「カベ二ミミ」の時にも使っていたけど、「模索」的な要素も含まれていた2年前とはその言葉の意味もちょっと違っているんじゃないかな、と。

 

まあ、少し「うーん……」と思ったのは、だからこそ途中で「大丈夫?ついてこれてる?」とか言わずに、もう少しお客さんのことを信じても(もっと言うと、放っておいても)いいのでは?ということ。きっとバンド自身が思っているよりも、ニコのことを分かってくれている人の数って多い気がするんですよね。

 

 

話を戻しまして。じゃあ具体的にどんなところが良かったのかというと、ひとつは、そこに無理が生じていなかったこと。『Walls Is Beginning』『runova × handover』に収録されている全13曲を演奏し終えた本編を終えたあとのアンコールで光村さんが「10年経って、歌のスキルも演奏のスキルも上がって、最近の僕らはめっぽう明るいじゃないですか。だから楽しい雰囲気に持っていけるかと思いましたが……無理でした。リハ1日目でそれに気づきました(笑)」と言っていたように、確かにそういう曲多めだったこの日のライヴ*2。だけど、それに抗ってどうにかしようと意図を張り巡らせる方向に行かなかったのは、6thアルバム『勇気も愛もないなんて』のリリース&ツアーを経て、〈答えが見つからなくても等身大でいよう〉という気持ちを固めた今のニコだからこそであって。そういう意味では「雨のブルース」も「病気」も「3年目の頭痛薬」も「幾那由他の砂に成る」も、かなり素っ裸な最新曲「マシ・マシ」と同じように鳴らされていたし、しっかりと地続きになっていたと思う。この日の演奏は、全体的にアソビすぎず、原曲の色をしっかり残すようなアレンジを施しつつも、それでもはみ出してしまうところは例えばアウトロや間奏で思いっきり表現しているような感じだった。背伸びもせず、縮こまりもせず。今のニコにそういう温度感があるからこそ、過去もそのまま認めて鳴らすことができる。静寂も激情も、過去も現在も、ひとつの呼吸の中で循環するような。

  

 

そしてだからこそ浮かび上がったのは、バンド自身が自分で生み出した曲に追いついたんじゃないかということ。例のミニアルバム2枚はメンバーたちがまだ20代前半の時にリリースされたもの。とはいえ、本人たちも

 

光村「何なんですかね、この緊張感。妙に渋い人たちにばかり対バン誘われるなあと思ってたんですけど、その理由がちょっと分かった」
対馬「これでハタチだよ」
古村「ちょっと怖いよね」
坂倉「怖いもの知らずだったね」
光村「これで100万枚売りたいとか言ってたからねえ……」

 

なんて話していたほど、その歳にしてはだいぶ渋いことをやっていたりする。しかし今のニコは、フラットに曲の持ち味を引き出せるようになっていた。繰り返しになってしまうけど、そこに無理が生じていなかった。それは何故かというとやっぱり、この10年間の経験があったからこそで。〈バンドとして何を鳴らしたいのか〉という肝心な部分がなかなかハッキリしなかったこのバンドは、いろいろな方向に手を伸ばしては、いろいろなタイプの曲を制作してきた。そうして10年かけてグネグネ曲がりくねった道を歩んできたけど、皮肉にもそれによってテクニック面が相当鍛えられたという事実はあるし、逆に〈これだけは〉という軸を見出しに行くキッカケになった部分もある。

 

例えば、グルーヴの太さ、リズムやキメの固さ、歌の強さ、休符の扱い方、和音の濁らせ方。そういうところに、バンドが歩んできた道のりってどうしてもにじみ出るんですよね。だから全曲、音源を踏襲したアレンジとはいえどやっぱり聴こえ方は全然違っていて。特に、「壁」の〈遮っても 遮ってるもの 全部抱きしめる/騒々しい空 満ちていく雲 全部抱きしめる〉というフレーズは胸にズンと響いた。10年前の光村さんが歌う〈抱きしめる〉はどこかヤケクソ感すらあったけど、30代の彼が歌うその言葉はもう、腹の据わった覚悟でしかない。この部分だけじゃなくて、この日演奏された曲には他にも、歴史ができたからこそ重み/深みの増したフレーズがあちこちに散りばめられていた。当時それらを生み出した光村さん自身は、何年後にどう響くか、をどの程度想像していたのだろうか。あの頃描いていた青写真通りにバンドは進まなかったかもしれないけど、それでもニコは、ちゃんと今を認められるようなバンドになった。そんなことを考えながら聴いた「image training」は、どうしようもなく感慨深かったなあ。

 

  

年齢不相応の老成感を醸し出す音楽性と、それを表現しようとあくせくしている年齢相応のガムシャラさ。そのアンバランスさが10年前の彼らの魅力だとすれば、今の彼らの魅力は〈演奏技術的には培ってきたものがにじみ出るような時期に差し掛かっているにも関わらず、こんなにもピュアな気持ちで音楽に向かっている〉という点にある。どちらにせよアンバランスなことには変わりないんだけど、普通のバンドが歩んできた道のりを逆方向に辿っているようなバンドだからこそ、〈現在〉と〈当時〉が交わることに特別な意味が宿っていく。

 

10年前の曲たちが今の彼らに残してくれたのは現在バンドが充実の季節を迎えているのだという手応えであり、だからこそ、この日は最新曲「マシ・マシ」が優勝だなと感じました*3。今だからこそできること、ニコだからこそできること、もっと言うと「自分たちにはこれしかできません」がにじみ出てしまうようなこと。彼らにはそういう部分と向き合いながら、これからを歩んでいってほしいなと思う。そうやってもう、さっさと幸せになってくれ……!

 

NICO Touches the Walls 『マシ・マシ』Music Video

www.youtube.com

 

 

 

P.S.
もしもまた、こういうタイプのライヴが開催される機会があるならば、個人的には2ndアルバム『オーロラ』の再現ライヴが観てみたいです。理由を書くとまた長くなってしまうので、今その話をするのはやめておきます。実現したら、その時にでも。

 

 

 

*1:改めて文面にするとすっごい企画だな、これ

*2:9曲目の「アボガド」が来た時、スコーンと開けていくようなテンションがあったんだけど、いやいや、この曲でそうなるって冷静に考えると変な話だなと思って、ひとりでめちゃくちゃ笑った。あとは、まさかヴォーカリスト自らが転がりにいくとは思わなかったから、そこもなかなか笑ってしまった……

*3:そう思えたことがこの日いちばんの収穫だったかもしれない