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蜂須賀ちなみの日記帳

準新作の呟き

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同い年の友人と話をするたびに、26歳の壁というものは確かに存在するよなあと感じる。四年制大学を浪人・留年せずに卒業したら、社会人4年目にあたる年。新人とは呼ばれなくなり、かといってまだ中堅に達してはない。ゆえに両者の板挟みになることもしばしば。

 

私の通っていた大学はいわゆるマンモス校で、サラリーマンではない人も多くよく分からない生き方をしている人ばかり(私もそうか)だから、当時の同級生のことはそれほど心配していない。心配なのは高校時代の同級生の方。実際ごはんに行って仕事の愚痴を聞いたりすると、見事に板挟み状態に陥っていたりする。例えばこんな感じ。

 

・分からないことがあっても尋ねて来ず勝手に事故る新人、私を怒る上司、尻拭いをする私
・甘え上手の新人、彼女(彼)かわいさに何でもやってあげてしまう上司、チーム戦と比べたら当然営業成績が低くなってしまう私
・指示の通らない新人、仕事をしない上司、業務量が半端ないことになっている私

 

銀行員みたいな制服の進学校だったから、元々真面目な性格をした人が多いのだろう。適当に(ここでは「いい加減に」ではなく「ふさわしい」という意味)手を抜きつつ、できるだけ一人で抱えこむことは避けてほしいなあと思う。友人として。

 

――と他人事っぽく書いてみたけども、私も最近同じようなことで悩んでいる。10代~20代前半の人たちのような真新しい視点は持っていない。フットワークも彼らほど軽くはない。かといって、ベテランの人たちとパイの奪い合いをしたら真っ先に死ぬだろうし、別にそれを望んでもいない。私はフリーランスだから上司も部下もいないし、個人事業主と会社員では事情がいろいろと違ってくるけど、悩みの種自体はきっと同じ。それは、社会人4年目という中途半端なキャリアだ。

 

一方、続けてきたという事実そのものに救われることも増えた。

 

その1。某ライブの終演後、私のことを一番最初にライターとして採用してくれた人と呑みに行く機会があった。何の話すればいいんだとビクビクしていたけど、「よく生き残っているよなあ」というふうに言ってもらえた、「誰もいないところに上手くはまった感じはあるけど」という前提付きではあるけども。

 

その2。○○の記事が良かったから××の記事を書いてほしい、という流れでご依頼をいただく機会が増えた。先月末辺りに頑張っていた仕事とかは、ほぼほぼそれだった。

 

その3。この仕事を始める前から好きで聴いていたバンドと一緒に仕事をする機会があり、挨拶に行ったら、既にメンバーが私のことを知っていた、その上自分の記事を読んでくれていた。お世辞だろうと構えたけど、「あ、昆虫の蜂って字書く人ですよね?」とやたらリアルな確認のされ方をした。その人曰く、「純な文章を書く人だなと思ってました」とのこと。純って何やねん。あなたの書く歌詞の方がよっぽど……と言いかけたけどやめておいた。

 

それら全部が嬉しかったし、嬉しかったからこそこうやって書き残している。しかし受け取った「信用」を「信頼」だと思ってはならない。そこを履き違えた途端、まっさかさまに転落していく。この、足が半分崖の方にはみ出しているような不安定さこそが、まさに26歳的だなあと思う。頬が緩みそうになる時ほど気を引き締めるべきだ。

 

正直、5年後の自分がどんな仕事をしているのかが分からない。「これをやるまでは少なくともライターやめない」と決めていたことを遠くない未来に達成できそうな雰囲気になってしまったし、26年生きてきた上で世の中に対して抱いた疑問もあるから、それらを根こそぎひっくり返して高笑いしたいみたいな野望もあったりする。一方、文章という表現に果てなどないことは重々承知しているし、それを極めたい気持ちもある。愉快な気持ちで独自開発を進められそうな分野を見つけた。「あの人に取材したい」と思える対象はたくさんいて、まだまだ夢は尽きていない。読ませるにはどうすればいいか、みたいなことも追究していきたい。最近の自分は、ポジティブなのかネガティブなのかよく分からない。この文章には、まとまりがない。

 

巨大迷路みたいなこの世界を、どう生きたらいいんでしょうね? 同志たちよ、頑張ろうぞ。「頑張る」という言葉は何とかギリギリで踏ん張っているようなイメージがあってそんなに好きじゃないんだけど、今が使い時なんじゃないかと思う。