私がライターやろうと思ったきっかけのライヴから3年と少しが経つ。
好きなバンドのワンマンだったんだけど、どうもヴォーカルが不調で。
序盤こそ「大丈夫かな……」と心配気味に見守るような感覚だったんだけど、他のメンバーが言葉では語らずとも演奏でそのヴォーカルを支えていて、鼓舞していて、ヴォーカルの声もどんどん良くなっていって、最終的にとても感動したライヴだった。
しかし某媒体に載っていたその日のライヴレポートを読んだら、違和感があって。
ヴォーカルの不調がまるでなかったように「順風満帆な良いライヴ」として書かれていて、まるで別のライヴのレポートを読んでいるかのような気持ちになった。
不調だったからこその素晴らしさがあったのに、それを無視すんなよ。
イラッとして、何を考えたのかそれをきっかけに「そんなんなら私に書かせてよ」と思った。
で、ライターになって、今がある、と。ザックリ言うとそんな感じ。
それから約3年が経って、7月14日はTHE ORAL CIGARETTESのライヴレポートを書くためにZepp DiverCityへ。
この日もまたヴォーカルが不調なライヴだった。
どんな表現で何を書こうか、すごく悩んだ。
こうしてお仕事をいただけるようになってきて、3年前の、ただの読者でしかなかった自分が見ていた景色と、今の自分が見られる景色が違ったからだ。
バンドや本人の気持ち。
バンドに関わるスタッフの気持ち。
編集者の気持ち。
その場にいたファンの気持ち。
その場にいなかったファンの気持ち。
ファンと言うほどではないが、そのバンドのことが気になっている人の気持ち。
エトセトラエトセトラ。
あのときは知らなかった、他者。
あのときは知らなかった、事情。
あのときは知らなかった、感情。
それで、結論。
3年前に抱いたピュアな気持ちは意外と変わりませんでした。
というか、バンドの方が自らの情けないところまでも曝け出していくライヴをしたんだから、やっぱり目の前で起こったことは無視したくないし、私は恵まれた環境で書かせてもらってる・ライヴお邪魔させてもらってる人間だし、それならポジティヴにもネガティヴにも振らず、できるだけニュートラルに書く・伝えるのが礼儀だろ、と思わされました。
そうして書いた原稿が世に出るまでにたとえ何かの壁にぶつかったとしても(今回はそんなことなかったけどね)、誰かに非難されたとしても、そのニュートラルさを守るのが精一杯の誠意だと信じることにしました。
ツアーファイナルも終わりましたし(お疲れ様です)、ライヴレポート公開です。
上記を踏まえたうえで、書くべきことは書いたので、いろんな人に読んでいただきたいと強く思っております。
どうしたって一生語られてしまうような、オーラルにとっての刻印のような日。
この日がただの「美談」に成り下がったらバンドは終わりなわけで、それはオーラル自身が誰よりも痛感しているわけで。
この日を意味のあるものにできるのは紛れもなく未来のTHE ORAL CIGARETTESだけ。
悔しさも何もかも糧にして上りつめていくことを信じております。
だってそんなにヤワな人たちじゃないと思うので。
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※追記
タイトル「右手に花束を、左手にナイフを」は、私が人生で初めてのインタビュー(大2のときの講義「スポーツジャーナリズム論」の課題)に挑む前に、とある人に言われたこと。
褒めたり喜ばせるだけではなくて、インタビュイーや読者をハッとさせるような一言だったり、時と場合によっては辛辣なことも口にしなくてはいけない。そういう覚悟と準備を常にしておくのがインタビュアーの仕事なんだよ、という意味。
でも両手にナイフの、「自称:毒舌」星人は、ただの自己満足だよね。
今では座右の銘にさせてもらっている。
原点に還してくれてありがとう。