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蜂須賀ちなみの日記帳

愛情という名の免罪符

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「蜂須賀さんの書く記事には愛があるよね」

 

 

そう言われたら、決して喜んではいけないと思っている。

言葉の使い方が巧み。文章として美しい。着眼点が鋭い。構成が斬新。納期守ってくれるから助かる。エトセトラ。

そのどれにも当てはまらなかったのだろう。褒め方が分からなかったんだろう。苦し紛れに絞り出した一言なのだろう。そう思うからだ。

 

 

ただしこれは、一般の読者ではなく、いわゆる関係者に言われた時に限る話である。

例えば、レーベルのスタッフや事務所のスタッフ。私が取材対象とするアーティストは、彼らにとって「その良さを広めたい」「売りたい」と思っている対象である。例えば、メディアの編集者。彼らにとって私は、自分たちが今から売ろうとしている商品の一部を制作する者である。

あえて冷たい言い方をするが、ここで言うアーティストやメディアは彼らにとっての商品。その商品を「広める」「売る」ことを「仕事」にし、頭をひねり苦心している人々が、その一端を担うものに対し、「愛さえあればオールオッケー」なんて甘っちょろいことを言っている場合だろうか。俗な喩えになってしまうが、「推しが尊くて語彙力が死ぬ」みたいな現象が「仕事」上で発生するだろうか。答えはおそらくノーだ。

 

 

私は文章を納品することによってお金をいただいている。だから、ただひたすらに、質の高い仕事をすればよい。

取材対象の美学に沿った言葉選び。「表面を掬う」の対極を行くような、踏み込んだ描写。楽しく正しく読ませるための、構成面における工夫。奥深い考察。必要あらば、内臓から抉り取ったような吐露。

愛情とは、その奥に透けて見えるもの。いっそ、気づかれなかったとしても構わない。それを狙ってやるなんて、無粋なことである。