enjii

蜂須賀ちなみの日記帳

「お手隙の際に」なんて言えない


「お手隙の際に」という言葉は「急いでないから、あとで対応してもらえればOKです」という意味で仕事のメールではわりと使うけど、自分が書いた記事の宣伝をする時には使わないようにしています。なぜかというと、「手が空いたから読む人」なんて存在しないと思っているから。今のところ、私が書いた文章は、キャッチするつもりがなくても視界or耳に入るような広告では使われておらず、「雑誌を購入してページをめくる」あるいは「URLをクリックしてページに遷移する」という読者の能動的行為の先にしか存在していません*1。だから、読者=「読むために手を空けてくれた人」。自分の文章によって、ある程度の時間、目や意識、集中を奪ってしまう相手に対して、「手が空いた時に読んでね」と言うのはしっくりこないから、それなら「手を空けて読んでね(その価値があるほどいいもの書いてます)」というスタンスでいたいなと思います。そのうえで、手を空けてくれる人が存在するという事実、そのありがたみをちゃんと感じながら過ごしたい。

 

3月中旬に父が死去し、5月上旬に四十九日法要を、7月上旬に納骨を終えました。葬儀とか諸々の手続きが盛りだくさんだから親が死んでも悲しむ暇なんてないよってどこかで聞いたことがあって、覚悟はしていたけど、蓋を開けてみたら本当にその通りで。自分の心を無視したスケジューリングが続いた時、まず起きたのが、“積読と録画がとにかく溜まっていく”という現象でした。エンタメにアクセスする余裕なんて全くないな、と。

 

日々なんとか生きている人にとっては、たった1分でも「手を空ける」ことがものすごく難しい。それはこの仕事を始めてからずっと意識していたことだったけど、その難しさがいざ自分に振りかかってきた時、想像以上に、もっともっと難しいものだったんだと実感しました。だけど私の場合、音楽を聴いたりライブを観たりすることが生計を立てることに繋がっているから、「手を空ける」余裕のない日々でも、ある種強制的に音楽が生活に入ってくるんですよね。そういう環境に身を置いていたことは不幸中の幸いでした。

 

大量の〆切を抱えながら、UNISON SQUARE GARDENのライブ→納骨→米津玄師のライブという日程で動いていた時期はさすがに情緒がぐちゃぐちゃになったけど、同時に、UNISON SQUARE GARDENのアルバム「Ninth Peel」とそのツアー、米津玄師のツアーで観た「Lemon」再演*2や「Nighthawks」のライブアレンジ*3には心から救われました。Mrs. GREEN APPLEの「ケセラセラ」という曲について「スペイン語で“なるようになるさ”という意味の〈ケセラセラ〉という言葉を、おまじないのように口ずさんでいたリスナーも少なくないだろう」と書いたのは、何を隠そう、私自身がそうすることによって毎日何とか踏ん張っていたからだし、いきものがかりのフリーライブのレポで「帰りたくなったよ」についてああいうふうに書いたのは、音楽と二人きりになれたあの数分間が自分にとって大事な時間だったからでした。

 

全部挙げたらキリがないからこの辺にしておくけど、そういうものの連鎖によって生かされた4ヶ月間だった気がします。「好きなことを仕事にするメリット、デメリットは?」ってよく聞かれるけど、「呪いにも命綱にもなる」というのが今の率直な実感です。この時期に書いた原稿では特に魂から出た言葉を綴れた気がするし、逆に言うと、魂から出た言葉でなければ許せなかったともいえる。この3連休はゆっくり過ごせそうなので、リフレッシュして、また週明けから頑張りたいなと思います。

 

*1:たまにキャッチコピーの仕事もしているから例外はあるけど

*2:ダンサーの菅原小春が登場、2018年の「NHK紅白歌合戦」と同じパフォーマンスが披露された

*3:BUMP OF CHICKEN「天体観測」のギターリフを引用